知の現場 久恒啓一監修 知的生産の技術研究会編

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取材エピソード

奥野宣之先生・取材エピソード (溝江玲子)

 取材に伺う前に、奥野宣之先生の『情報は1冊のノートにまとめなさい』を読み、まずそれを実践してみた。自分で試して、この本のアイデアは素晴らしく、ずっと続けていきたいと思った。
 いよいよ、そのアイデアを生みだした奥野先生を取材するのだと思うと胸がときめく。先生はマンションにお住まいで、自らドアを開けて出迎えて下さる、若くて気さくな方だった。
 お話はダイニングルームで聞かせて頂いた。その中で、「先生のお宝は?」と尋ねると、持ってこられたのが、箱入りの手作り「情報は1冊のノートにまとめなさい」だった。先生は、この手作りというところが一番嬉しいようで、こちらまで楽しい気分になった。
 最後に、奥野先生の「知の現場」である書斎に案内して頂いた。書斎に入って驚いたのは、殆どが先生の手作りだったことである。ゴミ箱までがそうだった。そして、平面的ではなく立体的に工夫されている。余りに整然としているので吃驚してしまった。
こうして、取材することが出来、書斎に入ることが出来、私は取材以上のものを手に入れたと思う。それは、見事な空間の使い方であった。 家の雑用、その他がかぶさってくる女の物書きとしても、感じること、参考になることが多い奥野先生の取材であった。

北康利先生・取材エピソード (近藤節夫)

 かつて謹厳実直な一流の銀行マンだったなと思わせるに相応しい寸分の隙もない身だしなみで、取材場所の東洋経済新報社会議室へ姿を見せられた。この人が「レジェンド-伝説の男・白洲次郎」で売れっ子作家になった人かと、まじまじと見つめてしまった。
 小さいころから本を読むことが好きだったことから書くことへ進んでいかれた。大学では弁論部に所属してスピーチ・テクニックを磨き、加えて専門知識に裏打ちされた淀みのない話しぶりは、世界一のメガネ屋に作らせたメガネをかけた大きな顔、太い眉、更にドッシリした体躯が映し出すメリハリのある外見の存在感とも相俟って、その論客ぶりはテレビ番組のニュース・キャスターにも適任のように思えた。
だが、「自分は成功者のひとりだと思っています」とか、「私が書かなければ白洲次郎もこれほど生命を与えられることはなかったのではないか」の自信たっぷりの台詞には、そこまで言うかと気の弱い私は、ジャカルタ市内で若者に突然背後から襲われ、馬乗りになられて腕時計を奪い取られた時以上のショックを覚えた。
 伺うところによれば、家族を大切に思い結婚11年目に授かった一人娘が可愛く、いつも会話を欠かさないというほどの愛情を注いで温かく成長を見守っている。夫人が宝塚スターの安奈淳と親しくなって、今では家族揃って安奈淳ファン、宝塚ファンだという。その娘が、もし宝塚へ入りたいと言えば、何とかしてあげたいという親バカぶりを発揮する「ごく普通の父親」の一面も垣間見せてくれる。堅苦しいだけの評伝作家ではなく、愛用品にこだわりを抱き、時には優しく情緒的な内面を覗かせてくれると実のところほっとする。

武者陵司先生・取材エピソード (近藤節夫)

 半年前東京メトロ・赤坂山王駅舎に跨る高層ビル内のドイツ証券で取材させていただいたが、その後武者先生は自ら新たな会社を起ち上げられた。
 大和証券とドイツ証券で証券マンとして比類ない実績を積まれ、「新帝国主義論」ほか多くの著書をものにされた先生は、大学で学ばれた理論のうえに実践的な体験を重ねて、ゆるぎない独自の「武者理論」を構築された。
 景気低迷と歩調を合わせるように経済学者や証券アナリストなどに対する厳しい見方が溢れる一方で、武者先生は比較的楽観論者として知られている。株価予想が大外れした経験も再三に亘る。先生の毅然とした考え方と理論の背景には、しっかりとしたベース、所謂大学で学んだ理論と証券業界における実務経験で得た自信が根付いている。さらに、アメリカにおける勤務経験から、アメリカの実体経済に対する視点と分析には確個たる自信を抱き、今でこそ底冷えのアメリカ経済ではあるが、アメリカ経済の根源的な力への根強い信頼感と視点から、いずれ経済は立ち直るとの観測で楽観論を唱えているものと思う。
 子どものころの田舎の生活体験から、大学で経済学を専攻して今日のストラテジストとしての地歩と存在感を確立し得たのは、異体験を前向きに受け入れ自らの実体験を拳拳服膺した謙虚な柔軟性が寄与しているからではないだろうか。
 それにしても、古代エジプト時代に建設されたピラミッドに注目し、古代ローマ時代の貨幣の製造や流通にも着目し、それらを都市の繁栄や経済発展の手段として、現代に適合する経済対策にまで敷衍され提言されるのは、意表をつくアイディアであり、漠然と現代社会の現象面だけに目を奪われていては、恐らく生れてこない発想であろう。現代にピラミッドを建設するべきとのユニークなアイディアと提言は、けだし刮目すべきであろう。

松田忠徳先生・取材エピソード (岩瀬晴夫)

 温泉は生活に密着した世俗っぽい話題です。マスコミは温泉専門家なるものを重宝し、世間受けする内容を引き出そうとするはずです。温泉といえば松田某という人(札幌大学教授)が北海道内版のマスコミによく登場します。
松田某について二点、気になっていました。一つはマスコミ迎合の雰囲気がなぜないこと?もう一つは、温泉は温泉学のような学問になるのだろうか?ということ。
 知研の企画本「知の現場」で松田某さんを取材する、という。疑問解決の機会到来です。私も参加しますと申し出て取材陣に加わりました。ご自宅訪問(09年6月28日)は午後一番。知研を以前から御存知の松田さんは、初対面の4名と長年の仲間のような接し方でした。
本宅の居間で取材が始まり、その後別棟の書斎に移動しました。書斎の5万冊を超える知の蔵を見て、マスコミに迎合しない発言が、知に裏打ちされたものであった、と納得できました。温泉に話が移り、ご自身が温泉に入る際には「露天風呂はほとんど利用しない」という趣旨の発言がありました。なぜか、と問うと「体温を下げるから」。これで温泉学の疑問が氷解しました。「温泉(湯治)の本質は、体温を上げることで身体の持つ免疫力や治癒力を高めることである」「それらの関係性の解明」が学問だと理解できたからです。
 松田さんは、久恒理事長や私と似た背丈(165センチ前後)の中肉中背の人物でした。歯切れのよい文体のリズムは、しゃべりも同様で、立ち振る舞いも身軽でした。無駄のない行動と適切さで、千歳空港への近道ルートを自家用車で先導していただきました。最後に、20代に知りあった久恒理事長との旧交を温めることができ、実り多い一日に感謝してそれぞれ別れました。

野村正樹先生・取材エピソード (近藤節夫)

 鉄道に強い愛着を抱く野村先生から、小田急ロマンスカー内での取材申し入れをいただいた当座は、一瞬面食らった。最新型VSE車両の先頭部分の豪華なラウンジ座席を希望された取材は、6月22日(月)新宿発13:40発の箱根湯本行ロマンスカー車内で行われた。
最前部の展望シートを向かい合わせ、先生と私がお見合いする形となった。ほかの座席は先生と私の座席を囲む形を作った。20余席を確保して新宿駅出発を合図にインタビューを開始した。小田急の車両、駅、鉄橋、沿線風景に至るまで先生の頭にはこと細かくイメージが刻まれ、その場所へ近づくと立ち上がって身振り手振りを交えて説明してくれる。線路際の先生の自宅兼オフィス傍を通過した時、そして二宮尊徳が堤防決壊防止のために植樹した相模川鉄橋を渡った時には、テンションの高揚はその極に達した。生憎の曇り空で霊峰富士を望むことはできなかったが、おかげで楽しい小ハイキング気分に浸ることができた。他のロマンスカーとのすれ違いの区間と時間まで調べておられ、それが時間通りでないと、その原因まで精査される。こだわりの「鉄ちゃん」と感心したものである。
 小田原駅から知研会員による車に先導され、二宮尊徳を祀る報徳神社へお参りした。これほどまで尊徳を崇拝されているとは露知らなかった。付属施設の報徳博物館では館長に案内され、尊徳の人徳と功績に触れた。更に、境内にある報徳記念館で理事長からしんみりと講話も伺った。これらはすべて前以て先生が直々にアレンジされたものである。
 本書のテーマ通り先生が「鉄道と二宮尊徳が『知』の原点」と力説される所以をまざまざと見せつけてくれる知的企画取材だった。惜しむらくは、その夕べ先生から同行の「鉄子さん」を交えて懇親会のお誘いがあり、裏話を伺う機会がありながら、生憎新宿で本プロジェクト定期ミーティングの予定があり、とんぼ返りした点に聊か悔いが残った。

昇地三郎先生・取材エピソード (常富博史)

 昇地三郎先生。1906年生まれ。医学・文学博士。「教育のノーベル賞」と言われるペスタロッチ賞を受賞された、世界最長の現役教育学者(福岡教育大学名誉教授)。
 これだけでも十分緊張する。取材前日には空港から先生宅への道順と場所を確認し、定刻通り到着。秘書の方と一頻り取材の打ち合わせを終えた後、お出になられた先生の出で立ちを見て度肝を抜かれる。真っ赤のブレザー、ピンクの蝶ネクタイに胸には花を飾り、満面の笑みで登場された先生に、目が釘付けとなった。
 取材中は、古い文献が揃う、整然と整った本棚から、博士論文を見せて頂き感激。また、現在執筆中の生原稿を見せて頂き、感動。先生曰く、原稿は手書きで、原稿用紙10枚くらいは、誤字・脱字、書き直しなしに一気に書かれるとのこと。「原稿執筆は手書きがいいですよ」とアドバイスを頂く。とても真似できそうにない・・・
 取材も終盤に差し掛かり、私から、この取材でどうしても聞きたかった核心の質問をさせて頂く。「数十年間、物事を継続できる秘訣とは?」
昇地先生の『一日一知』と、私が久恒理事長から学び、実践中の『一日一図』。
先生は『一日一知』で、毎朝7時起床後、冷水摩擦。朝食後、仕事を始める前にラジオのハングル講座と中国語講座を聞いての勉強を30年以上継続されているとのこと。100歳越えて尚、毎年、世界一周講演旅行。通訳なしで1時間半から2時間の講演を立って、机に手をつかず、水も飲まない・・・ただただ、驚きの連続。知的刺激と学びの連続。
 取材を終え、先生から著書にサインを頂く。『人生は自分自身との戦である』
100歳を超えてなお、新しいものへ出会おうとする探究心が、若さ、長生きの秘訣であるとお教え頂く。

小中陽太郎先生・取材エピソード (近藤節夫)

 わが家から歩いて10分の豪壮なお宅で取材することになった。階下書斎には、小中先生が小田実らと活動したベトナム反戦運動当時、ベ平連がニューヨーク・タイムズ紙全一面へ反戦広告を掲載して、アメリカ国民をあっと言わせた現物が壁に貼られている。目を見張る大きなモノクロ写真も掛けられている。何とあのイタリアの性格俳優、マルチェロ・マストロヤンニとのツー・ショットである。リベラルな活動家として広く国際的にも活動されている先生は、国際的な人権運動や、著名人との会見や取材でも圧倒的なキャリアを誇っている。去る11月にはリンツ(オーストリア)の国際ペン大会でも講演された。
 人権運動には自らの危険をも顧みず、その先鋭的な行動力は米空母「イントレピット」の脱走水兵のひとりを1年間も自宅に匿ったり、本書紹介の通りソウルの自宅に軟禁中の金大中・元韓国大統領救出活動に尽力し、世界に先駆けて解放一番乗りのインタビューを成功させた。その折の証拠記念をと無理を言ってお願いしたのが、145頁の写真である。ワレサ・元連帯議長(ポーランド)、ハベル・元大統領(チェコ)ら世界的に知られる要人とも会見し、気持ちが通じ合えたのは、先生の志と信念に彼らも心を許したからではないか。
 本書は幾分若者向きであり、実を言うとベトナム戦争を知らない若者に過去の事実を深く知ってもらいたいと、私にとっても「知の現場」の原点である過去の社会的事件の真実をもっと伺って、もっと真実を紹介してみたかったというのが、偽らざる本音である。
 幸い普段からご厚誼をいただいている先生が、ベトナム戦争中に北ベトナム・ハノイを訪問し、偶々私が南ベトナム・サイゴンに滞在したという空気伝播もあり、トレースを追う私は、今も先生の構想力、思考力、行動力に教えられている。訪れるといつも先生とともに、誰にも温かくおもてなしをしてくれる奥様の優しさに心が和む。感謝、感謝である。
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