お知らせ
この1冊!
今から47年前にこの1冊が出ました。
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)です。
知的生産の技術研究会は翌々年1970年に、この署名をいただいて、梅棹先生に顧問になっていただいてスタートしました。
この1冊が出る前の我が国の知的状況と出たあとの知的状況が革命的に変わってしまったことを説明します。
この1冊が出る前は、物を学ぼうとする人たちは、著名な先人である学者、専門家が書いた本を読んだり、大学で授業を聞いたりして、それをそのまま自分のあたまの中に定着させることが学びでした。
先人たちがどうやってそういう本を書いたのかについては、深く知ろうとしませんでした。
しかし、梅棹忠夫先生は、先人たちがどのようにして材料をあつめて論文や本にしているのか、ご自分がやっていることを公開して、他の学者たちも似たようなことをしていることを教えてくださいました。それは特殊な名人芸とかインスピレーションによって書いたものではなく、普通の人でもその方法を学んで努力してやれば、誰でも研究者になれるのだと教えてくださいました。
この本の目次は次のようになっています。
「発見の手帳」
「ノートからカードへ」
「カードとその使い方」
「きりぬきと規格化」
「整理と事務」
「読書」
「ペンからタイプライターへ」
「手紙」
「日記と記録」
「原稿」
「文章」
つまり、誰でも身近にやっていることですが、それぞれの項目を根本的に考えたことが書いてあり、この思想とルールにしたがってきちんと行うことが、普通の人でも研究者になれる条件です。
この本が出たときの反響はすさまじいものでした。
おおぜいの人たちが、やっぱりそうなのか、ということに気が付いて、学びの行動を始めました。しかし、B6カード(京大カード)をきちんとルールどおりにつくって、それをたくさん蓄積していくという作業はなかなか大変で、汗と足を使わねばならないこともわかってきました。
東京で知的生産の技術研究会を立ち上げて、いろいろな著名な先人の方を招いてセミナーを始めると、たちまち、70人、100人、150人、200人以上と人があつまり、大阪、名古屋にも支部ができました。
私たちの目標は知的生産の技術の普及ですが、マスコミは勉強会と名付けて報道しました。招いた講師たちはそれぞれ各界の専門家ですが、梅棹先生のルールにしたがってやってきたというより、それぞれ熱烈に思想と個性的な方法を開陳しました。それらはものすごい知的刺激源として機能しました。
梅棹先生の本は160万部くらいいき、岩波新書では2番目の発行部数です。そしてこの本の影響で“知的”ブームが起こり、約15年続きました。この本によって目覚めた人は、自分で情報を集め、発想して、生産する技術によって成長するようになり、おどろくほど多くの研究者や著者が大衆の地平から生まれました。ちなみに現在大学教授になっている人はジャーナリスト、ビジネスパーソンや行政パーソンだった人が多くなっています。
ちなみに、従来講演会というものは、著名な総合出版社が専門家や作家の話をファンに聞かせる講演会以外は、会社や団体が主催してやるだけで、聴衆は団体や会社の関係者だけでした。
当会は、コーヒー1杯くらいの金額で、一般の学生や社会人が誰でも著名人の講演を聞けるようにしたので、ずいぶんおおぜいの人たちから喜ばれました。こういう会は当会がはじめて行い、ほどなく全国にそれが蔓延しました。これは当会の功績であると自慢しています。
講演集の利用法
このホームページに公開したのは1970年から46年間に、東京、関西、東海、仙台、岡山、福岡などの支部で開いたセミナーのうち、テープから活字化したものと東海が出版した単行本に掲載したもの、講師や会員が寄稿したものなど合計約1500点です。今後も知研を続けるかぎりは蓄積していきます。
分類は
「梅棹忠夫先生関係」「知的生産の技術」「創造」「情報」「価値観」「教育」「科学」「歴史」「国際」「連載」「エッセイ」「名著の早読み図解読み」「図解」に第1分類し、項目によって第2分類しています。ご自分で自由に開いてくだされば、大体の見当は付きます。
当会がお招きしたおおぜいの講師の著書は時間がたったことや、出版不況で絶版になったものが多く、もはやこれらを読むことは図書館でさがして読む以外にありません。
しかし、幸いに当会のホームページを利用していただければ、それらの内容を読むことができます。
ぜひ、この講演集のメリットをご利用していただきたいと思っております。